2020/07/22 18:00
2020年、活動開始から5年を経て遂にフルアルバムをリリースしたVANILLA.6。
3月の発売後、セルフタイトル作はその名に恥じぬ高評価を獲得し、個人レビューサイトやブログ、メディアで称賛を浴びた。
東阪のリリースパーティーとその先の未来に誰もが華々しいイメージを描く中、突如として世界中で新型コロナウイルスが猛威を振るい始める。
感染拡大への懸念から、3月末~6月に出演予定だった全てのイベントが中止・延期となり、彼らにとっての新フェーズの幕開けは暗礁に乗り上げ、終わりの見えない暇を余儀無くされた。
しかし、アルバム「VANILLA.6」が打ち出す希望は今日も音楽ファンの間で強く響いているはずだ。奥深い本作をより理解をするためのガイドとして、また、自身の音楽や生活におけるその思想について。当プロジェクトのフロントマンであるook-boy氏に存分に語ってもらった。
(企画・聞き手・構成:Mabase Records)
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「VANILLA.6」発売、おめでとうございます。世の中的にはコロナ第二波が来ると騒がれており、またエンタメ全般が向かい風ですが……にしても、すごい状況下でアルバムが出てしまいましたね。
ook-boy::うん(笑)。こればっかりはしょうがないとしか言いようがない。ライブも仕事も飛んだので、最近はひたすら自炊を楽しんでいます。
※インタビュー実施は6/5。それから公開までの約1か月で、東京都内には再度の警戒態勢が敷かれることとなった。
アルバム企画時からマバセも携わらせて頂いていましたが、長い道のりでしたね。元々2019年末の発売を目指していたものが2020年頭になり、春になり……。
ook-boy:前作「DIE/LOW」はインディーのシングルリリースでは無謀に近い予算のかけ方であり、作業工数の多さだとは周りに指摘もされたし、その自覚もあった。今回は反省を踏まえて、常にエクセルの進捗表とにらめっこしながら計画的に制作は進めたものの……。それでも前作に比べて作業量が何十倍にもなってしまった。純粋に曲の多さもありつつ、アルバム全体で描きたいイメージも広がっていたし。あとは結成して5年経って、年齢が上がっていくにつれメンバーも定職に就いて段々予定が合わせづらくなってもきていた。ただ同時に、ソロプロジェクトとしてはじまったVANILLA.6が色んな人を巻き込んで拡がりを見せているのは嬉しい手応えとしてあったかな。それでアルバム自体のクオリティは突き詰められた。誰にも負けない、唯一無二のポップソングが詰まった作品にできたと思う。
2019年の夏、主催イベント合わせでアルバム収録曲"Side Effect"のシングル配信とMV作成・公開を実施したじゃないですか。
あれも結構無茶なスケジュールだなと思ったので、当初はアルバム年内発売を目指して進捗管理をしてみたんですが……。
ook-boy:日々、前には進んでいてもディティールを追い込むことに時間を費やしてしまって。全体像が見えてくるまでの歩みは、着実だけど早くはなかったね。それでも、上がってくる音がこれまで出してきたどのEPのクオリティをも楽々超えていた。その手応えで制作時のテンションをキープできた。
マバセとしても、これは凄まじいものができるだろうし、あんまり追い込んでもいいことないなと。
納得いくまで作ってもらって全部見えた後で、パッケージングやリリーススケジュールを考える方へと舵を切りました。
ook-boy:自分で課してた2019年発売というハードルがなくなったのは、プレッシャーの意味で肩の荷が下りた。精神的に楽になったぶん、色んなジャッジを下せる余裕もできて、結果的にはクオリティアップにも繋がったと思う。リリースに関して、マバセには事務方全般の作業と、広報や営業はメンバーとも分割してお願いしつつ、議論しながら決めたCDのみのボーナストラックのアイディアはそのまま採用させてもらったし、予算内でどこまで理想の形態で発売できるかの試算や、ジャケットや歌詞カードに文字を入れて調整してもらう雑用もお願いして。制作協力として立ってもらったマバセと二人三脚で色々進められたことで、俺はこれまでよりずっと制作に集中できた。
VANILLA.6のことは、活動開始時から個人的にお手伝いしてきましたからね。
ook-boy:そもそもの出会いっていつからだっけ。
いつだかのミナミホイールで、ナードマグネットのフライヤー入りティッシュの配布を一緒に手伝いました。そこが最初だったと思います。
ook-boy:確かその年の秋冬に「90's Milan」のビデオを作って、その流れで、当時お互いが住んでいた実家が結構近いことが判明したんだよね。そこから月に1回ぐらい、夜中に俺が君の家の近所まで行って、コンビニで朝まで喋って帰るみたいなこともあったり。メンバーやめるねんけどどうしよう、みたいな相談にも乗ってもらうようになったり(笑)。外部の相談役、みたいな関係がこれまで続いています。
その時々でVANILLA.6に不足するピースを埋めていくような役割はあったかもしれません。
ビデオも作ったし、PAもやったし、バカみたいなスケジュールの遠征で運転手したり。
ook-boy:土曜の朝に東京向かって、夜中にオールナイトのイベント出て。車の返却はそのまま日曜の昼間がデッドみたいな。
あのスケジューリングはもう絶対辞めた方がいいです(笑)。
車停めてた駐車場がゲットーすぎて寝てるのに職質されたり、ヤンキーが騒ぎ出したりで、寝れないまま運転したのは結構なトラウマです。
ook-boy:YouTubeにカバーシリーズを3本アップしたじゃない。ビデオも撮ってもらって。個人的にはあれがちょっとしたトラウマというか(笑)。コメント欄でL'Arc〜en 〜Cielファンから袋叩きにされて……。カバーした「Blurry Eyes」はギターポップっぽくて、俺達とルーツは似てるよなと思ったんだけどな。俺達は元ネタやリファレンスありきで音楽を楽しんでいても、熱狂的なファンの方が多いからかもっと本人達自身にフォーカスしているというか。
※現在、それらの映像は全て削除されている。
VANILLA.6のビデオ制作や活動の手助けを経て学んだことは、マバセを動かすときにフィードバックさせてきたんです。そうしていくつかのリリースや制作協力を経て、少しは成長できていたみたいで、今回のVANILLA.6のアルバムの手助けは逆にこれまで学んだことをそちらに活かせるという意味で嬉しかったんですよ。Photoshopでのジャケットやチラシの作成、作品の販路の確保など事務的なものはもちろんですし、「Side Effect」のビデオでは湊川萌さんという頼れる撮影監督を呼んできて、一緒に作業できた。
ook-boy:なによりマバセの功績が大きかったのは、マスタリングにKensei Ogataさんを紹介してもらったこと。
Kenseiさんの質感は絶対マッチする、と前々から思っていたので今回実現できたのは嬉しかったです。
ook-boy:存在はずっと知っていたし、過去に聴いた音源にエンジニアとして参加されていてお名前も見かけていたんだけどね。直接的な繋がりがなかったから、自分のバンドを手がけて頂くことになるなんて思ってもみなかった。音楽的な共通項も多く、彼もバンドで活動されてるからこそこちらのイメージや意図もバッチリ汲んで下さる。オンラインでのやりとりも非常にスムーズで。サウンドへの拘りあるエンジニアさん、と考えると怖めのビジュアルを想像してしまっていたけど、お会いしてみたらとても物腰の柔らかいギターポップ青年という佇まいで驚きました。これからもっと仲良くさせて頂きたいし、アレンジやミックスから携わって頂けるような機会もいつか作れたらなと思ってます。ミックスとマスタリングを行き来しながら音源を完成に持っていけたのはKenseiさんと、これまでもずっとエンジニアとして付いてくれているmusic studio hanamauiiの宮さんのおかげです。
発売にあたっては、大久保さんがリスペクトされている様々な方からコメントを寄せて頂きました。
ook-boy:ずっとお世話になっているナードマグネットの須田さんや、京都nanoの土竜さん。そして、ART-SCHOOLの木下理樹さん・GOING UNDER GROUNDの松本素生から言葉を頂けたことは、いつかの自分が報われたような思いです。
ART-SCHOOLの美しくも悲痛な世界観はVANILLA.6のそれに通じるものがあって、結成初期に発表したていたDIVAのカバーは今も色褪せない名アレンジだと思ってます。
ook-boy:だよね、ギターのアルペジオをシンセでやったら印象がどう変わるのかという。元のフレーズが良いからこそ成立した実験でもある。
素生さんとは東京のイベントで共演された際、大変感激されていたのが昨年と記憶にも新しいです。
大久保さんのルーツにGOING UNDER GROUNDがあるのって結構意外ですよね。きっかけは学生時代ですか?
ook-boy:そうだね。中学の頃……後にThe Marble(VANILLA.6以前に活動していたバンド)を組むことになるノガボーイとの出会いが大きくて。GOING UNDER GROUNDもART-SCHOOLも、それからsyrup16gやNOVEMBERS……当時彼がレコメンドしてくれた音楽は今も俺の血肉になってます。GOING UNDER GROUNDは確か中2の頃「かよわきエナジー」を教えてもらってCDを借りて。歌詞やメロディーの淡くて甘酸っぱい世界観も勿論なんだけど、ポップな曲中にギターがガッツリと前に出てることに驚いた。今聴き直してもそう思うぶん、当時は相当な衝撃だったな。ギターが鳴ってるロックのかっこよさを自覚した最初のアルバムですね。そんな、自分のロックの原体験である素生さんに頂いたアルバムへのコメントがもう、素晴らしくて。「元々のルーツから離れてどれだけかっこいいことをやるか」という、音楽を作るよろこびすべてが詰まっているような言葉を頂けて、嬉しくて震えました。理樹さんも昨年の大変な時期にコメント執筆をお願いしてしまっていたこと、後で知って申し訳ない気持ちでいっぱいになったけど、同じく憧れの方から頂けた言葉に感動もひとしおです。
"ook-boyにGOINGは、音楽人生の原点だと言われた。
僕の音楽人生の原点は、ブルーハーツだ。だからよく分かる。
原点からいかに離れ、自分だけの音楽を作れるかが勝負。
勝ってくれよ♫" / 松本素生(GOING UNDER GROUND)
"驚くべき進化!必聴の傑作である!" / 木下理樹(ART-SCHOOL)
大久保さんと木下さんが夜中にツイッターのリプライで戯れてるのを見ると、きっととてもあたたかい方なんだろうなと微笑んでしまいます。
ook-boy:寝る前に突然リプライ飛んで来たら流石に目も覚めるよね(笑)。松本さんと木下さん、お二方のバンドと一緒にイベントをできる日が来たらいいな……なんて思うね。
ノガさんと大久保さんの関係性って美しいですよね。前々からいいなあと思っていて、個人的には、2019年末に僕が監督したThe World Will Tear Us ApartのSeptember Songという曲のビデオに出演オファーもしていたんですけど、予定が合わずだったので。スペシャルサンクス欄にお名前を掲載させて頂きました。
ook-boy:まさにあのビデオの彼らのような関係性だったなと思うよ。俺の音楽体験、隣にはいつもノガボーイがいたから。高校は別だったけど定期的に連絡は取ってて。俺は中学からバスケ部だったけど、高校のバスケ部は途中でやめて。お笑いやりたくなって。当時の友人と演劇部を立ち上げ、初代部長としてそのまま最後まで突っ走ったな。余談だけどその部活、当時は二人きりでやってたのに今や高校演劇部の業界で強豪になってるらしいです。(※自主規制)高校って知ってる?
うわ、僕が行きたかった高校ですやん……。当時好きだった女の子がそこへ行ったんですよ。
ook-boy:俺は入試最下位でギリギリ入学して、結局最下位のまま卒業しました。中高の間、大学行ってからもだけど……学校というコミュニティは苦手だった。高校のころは、だったら好きになれるまでもうめちゃくちゃやって乗っ取ってやろう、くらいの気持ちでいて。バスケ部はやめたけど、友達は少なくなかったから票かき集めて生徒会長になったり。演劇部も作ったし。ヒエラルキーに身を置くのが嫌だったけど、いなきゃけないから、楽しむための努力はした。その点は今のバンド活動にも活かされている気はするね。高校当時のノガボーイはちゃんと勉強も頑張りながらバンドをやっていて、軽音部の部長で。部がライブハウスを貸切ってやるイベントでACIDMANのコピーをやってるのを見に行ったときに、うわ、かっこええやん……と。彼に影響された結果、受験終わって大学生になる直前に俺も楽器を買いました。で、彼とバンドを始めることが決まった。ノガボーイは、ギターが弾けたらいいから、と言うので、俺が歌うことに。楽器はフェンダージャパンのジャガーベースを購入。今もデモ作成で使ってるものですね。ただ初心者で歌いながらベース弾くのは難しくて、なんやかんやギターに転身して今に至ります。だから、楽器始めたのは結構遅いんですよ。大学の軽音サークルは馴染めなくて、すぐ辞めてしまったな。バンドは外でやってた。だから大学の友達って少ないけど、そんな中でも数少ない友達や後輩が今は音楽業界で働いていたりして、なんだか誇らしいです。
僕も大学の友達ってあんまりいなくて、なんとなく気持ちはわかります。そのぶん大久保さん達に遊んでもらってましたけどね。
ちなみに、洋楽に触れ始めるのはいつ頃ですか?
ook-boy:彼が教えてくれた日本のロックバンドが、インタビューなんかでリスペクトを公言している洋楽を後に掘っていくことになる。
どうやらみんなSonic YouthとMy Bloody Valentineが好きらしいぞと、大学1年生の頃にCDを手に取った。洋楽を聴き始めたのも、ギターと一緒で実は結構遅めかな。それぞれ「Goo」と「Isn't Anything」から入った。特に「Isn't Anything」はぶっ飛ばされて、だからマイブラ的シューゲイズって俺の中では「Loveless」よりも前のパンキッシュで、ネオアコの輪郭も少し残ってるようなものを浮かべてしまう。
どちらも名盤ながら、スタートダッシュを切るにはなかなかアクあるチョイスだったと思うんですけど、最初から理解出来ました?
ook-boy:いや、ふたつとも耳痛いなあってのが最初の印象(笑)。Sonic Youthは……曲が終わったと思ったらノイズが鳴り始めて、そのまま2分間トラックがノイズまみれで鳴りやまない。プレイヤーが壊れたのかと思った。全然理解はできなかったけど、その強烈な個性には惹かれるものがあって。それから一緒に名前が挙げられるような、他のUSオルタナやシューゲイザーのバンドにも触れていったかな。そうしていくうちにだんだんと、どうやら自分はUK寄りの音の方が好きなのではないか、気付いてそちらの方を探ってみると、ニューウェーブというジャンルにぶち当たって、そこでJoy DivisionやThe Smithを知って、これはまた今まで聞いたものと全然違う、強烈だぞと。
じゃあ「浪速のロバスミ」の異名を欲しいままにしている大久保さんがThe Cureを好きになるのもそのあたり?
ook-boy:そうだね。今までずっと化粧してステージに立ってるのはThe Cureの、というか、ロバート・スミスの影響でしかないから。
ART-SCHOOLが初期メンバーで行ったラストライブの音源集、あのタイトルにもなってる「Boys Don't Cry」という曲を聴いたときの気持ちは今でもはっきり覚えてるよ。これはロックじゃない、なんだこのチャカチャカしたギターは!と。でも、そのサステインのなさすらだんだんクセになって、トリップするような感覚。そうしてThe Cureは大好きになったし、アルバム毎にロバート・スミスの心境やその時追いたい音楽的ベクトルに合わせてバンドの形すら変えてしまう……。彼らの曲や音楽性以上に、そういう姿勢そのものに共感してる。本当に理想的なやり方だなと感じてます。
そんなThe Cureと比べると、VANILLA.6は当初から一貫したサウンドプロダクションがありますよね。そういうフレキシブルさに憧れがあるというのは逆説的に思えて興味深いです。
ook-boy:VANILLA.6を動かす初期から、まさに今回のアルバムで実現できたようなサウンドのボヤっとしたイメージは確かにあった。
その尻尾をつかむように、ライブや制作活動の中で目指すべき方向を具体化させていったから。今出せるポテンシャルはアルバムに100%ぶつけられたと思う。曲としても新旧のレパートリーは全て詰め込んだ抜群なアルバムになったし、逆にこれから先の曲作りはこれまでと少し違った工夫というか、それこそThe Cureじゃないけど、今まで未開拓としてきたような要素も積極的に取り入れてみたいなと考えてるよ。遡ってThe Marble時代やそれ以前の、いちリスナーとしての感覚まで振り返ると……昔は今のVANILLA.6のような、バンド編成で出来ないようなサウンドを音源でやるのってどうなの?って避けてきたはずなんだよね。そういうグループの音源を聴いたときに、果たしてバンド感、ライブ感、グルーブ感とはなんぞや、というジレンマを感じてしまっていた。「OK Computer」以降のRadioheadや、管弦楽器やアコースティックのメンバーがいるSigur Rósとかね。ロックバンドなのか?という疑問はあったけど、今は違う。その音源のクオリティに近づけてライブをやれば、音源以上のエネルギーが生まれてフロアは盛り上がるに決まってる。その辺は、ステージ経験も経て歳を取るにつれて理解が深まってきたかな。ちなみに俺の中で、そういうバンドとして筆頭で憧れているのがArcade Fireで、俺は本当に大好きで。ああいう大編成でのライブも一つの夢だったりする。
ライブ感、という言葉が出たところでちょっと逸れるんですが、VANILLA.6って初期からずっと「DJ」と「バンド」の橋渡しというか、その間にある決して薄くない壁を融和させんと奔走してきたグループではないかと考えてるんですよ。
ook-boy:うん、ライブ感のある行為としてDJという行為は凄くリスペクトしていて、その場のためのチョイス、繋ぎ。技術と感性が試される。バンドの現場においてはBGM程度で軽視されがちかもしれないけれど、プレイする側も聴き手も幅があって自由度が高い音楽の楽しみ方という意味では、寧ろセットリストが決まっているバンドの演奏よりも一回一回のプレイにとてつもない価値を感じるよ。昨年夏に東京で開催したイベントも、そういう思いで組んだ節があるかな。
選んだ音源に思いを乗せて、その場の空気も読みながら、その空気すら作り変えてしまうパワーがあるわけですもんね。実はVANILLA.6のライブもそれに近い感覚があてはまると思っていて、音源に迫る圧倒的なサウンドクオリティにメンバーの手を経た熱量が乗っている。そこで一丸となって完璧を目指しているからこそ、放たれるその場限りその瞬間限りの輝きのような。
ook-boy:ライブを見に行って、かっこよかったけどどんな曲やってたっけ?と感じること、少なからずあって、これは俺達みたいに世界観があるバンドこそ陥りやすい問題じゃないかなと思ってるんだけど……だからVANILLA.6は、音源と遜色ないレベルでのライブはもちろん、極端かもしれないけれど初見でも耳馴染みがあって即歌えるメロディーや、ライブでしか見せられないエネルギーっていうものは常に意識してる。せっかく見に来て頂くからには、明日からその人の全部がひっくり返るような圧倒的な体験を提供したい。そういう意味で、ライブのことをショーと呼ぶようにしていたりもするんだけどね。
日本でライブっていうと、そこが結構両極端ですよね。いわゆるロックバンド的になるか、コミックバンドっぽくなってしまうか。それで言えば、VANILLA.6は普段着で日常を歌って帰るでもなく、あからさまに目立つ衣装を着たり裸になってふざけるでもない、孤高の存在。
ook-boy:だからこそシーンの一部として、界隈として徒党を組んで一緒に盛り上がれる……みたいなことがあまりないまま、ここまで来てしまった感はある。東京で活動しているとどうなんだろう、と思うことはあるけど、大阪でやっている時点でここは日本の本拠地ではないから。シーンやムーブメントより地域としての着目が音楽性の枕詞になってしまう。そんな中で大阪は、昔みんなで遊んでたハコのジャンルがガラッ変わってしまったり、それっていうのは中のスタッフさんの移動や廃業で巻き起こっていたりと、それこそ活動を始めた5年前にいた場所もどんどんなくなってきていて。大阪のインディー、という形で一度盛り上がった時がちょっとあったけど、ここ数年でまたフェードアウトしてしまったような気はする。その間に若いバンドが増えてきて、俺達のようにそこからはみ出た人々の受け皿は随分なくなってしまった。少なくとも俺達はこの5年を経て、かつての若さやスピード感で我々は勝負できなくなってきている。けど、自分がかつて憧れたバンドのような強烈な個性は獲得できたと思ってるよ。例えば、このアルバムがめちゃくちゃ売れて、それでたくさんの人に1回ずつ聴いてもらっていつか忘れ去られたとして。それでもかつて聴かれた結果が残る、それが果たして自分の理想かというとそうではないなと。むしろひとりでもいいから、かつての自分のような人にブッ刺さって、この先一生かけて何万回とでも聴いてもらいたい。だからきっと第一目標は、あの頃の自分にちゃんと届いて救い出せるような音楽がしたいということ。届いた結果、その子もかなり不幸な人生を歩むことにはなるけど(笑)。尖ろう尖ろうと意識していたわけではなく、機会や場所が減っていく中で自分達にできることを突き詰めていった結果、誰もいない変な場所まで来てしまった、先鋭化していってしまっていたというか。そもそも活動開始時に公開・配布したデモの「90's Milan」が再生数を伸ばした時点でこのバンドの方向性は決まってしまってたのかもね。ああいうサウンドが物珍しかったからこそ、当時受け入れられたのかなと思うし。
2~3年目あたりまではその「ミラン」を超える曲がなかなかできない、みたいな話で朝まで議論したこともありましたね。
ook-boy:自分が飽き性だから、これがバンドの代名詞だっ!て言うものが付いてしまって、のちの曲作りに悩まされるようなことになると辛かった。気にせずにとにかくいい曲を、と切り替えてからはミランの影もどんどん薄れていったな。あの曲自体、今よりずっと単純な発想と取捨選択で出来た曲なので、あんなに話題にしてもらえるとは思ってなかった。当時と今の大きい違いは頭の使い方にあると思っていて、あの頃はバンドマン的に弾き語ってから曲を作っていたけど、この頃は最初からガッツリとトラックメイクまでやってしまうからね。考え方が変わったんだと思う。
昔から大久保さんのデモは作り込んでありました。プリプロ段階でメンバーが「もうこれで出せばいいのに」って言っちゃうくらい。
ook-boy:デモはいつか公開しても面白いかも。作り込んでも、まとまった作品として出すにはまだまだ甘いと感じてしまう。完璧にするには、自分のエンジニア能力や設備が足りていないことは自覚してるので、今回まではプロの手でしっかりしたものを作りたかった。
【後編へ続きます】↓